ユーザのマルチデバイス利用行動を理解する:リアルタイム・エクスペリエンス・トラッキングとは?(後編)

前回はユーザのマルチデバイス・マルチメディア利用の実態を把握する方法として、リアルタイム・エクスペリエンス・トラッキング(Real time Experience Tracking: RET)という手法をご紹介した。今回は、RETで実際にどのような発見・示唆が得られるのか?具体的な事例をいくつかご紹介したい。

ユーザ行動をスナップショットとして記録するRET

前回の記事では、ユーザ行動を正しく理解するための新手法として、リアルタイム・エクスペリエンス・トラッキング(以下、RET)の概要をご紹介した。

では、RETはこれまでマーケターの方たちが活用されてきたアンケートやグループインタビュー、デプスインタビューと何が違うのか?

簡単にRETの特徴を整理したい。

従来の調査手法とRETの一番の違いは、記憶が薄れてしまう前にユーザの行動をスナップショットとして記録できる点である。その結果として、主に以下の2点をリアルに把握することができる。

  • オフライン/オンラインのあらゆるマーケティング接点とその影響
  • PC/スマートフォン/タブレットなどデバイス横断の利用行動

それでは、これらのRETの特長を活かした、具体的な活用例を見てみよう。

例1:各タッチポイントの好感度/購買への影響度の把握

タッチポイントの把握はRETが得意とするテーマである。

製品・サービスに対するユーザの印象は、企業が発信している情報(広告や店頭など)だけでなく、友人との会話など様々なファクターの影響を受ける。それらのファクターがどのように影響しているのか、コミュニケーション上のボトルネックがどこにあるのかを明らかにし、改善の余地を発見するためにRETを活用することができる。

下図は、イギリスの携帯電話ネットワーク・プロバイダー2社について、各タッチポイントの好感度、購入への影響度、接触頻度をマッピングした図である。これを見ると、ブランドAとBで友人との「会話」の与える影響に圧倒的な違いがあることが分かる。実は、ブランドAのサービスを購入したユーザは満足しておらず、そのネガティブなコメントを消費者が聞いていたのである。そのため、ブランドAはサービスの向上に注力すべきである。

例2:接触メディアとビジネス機会のマッピング

タッチポイント把握の発展として、次のビジネス機会を探るためにRETを活用することも可能である。

スマートフォンの普及に伴い、ユーザは様々なウェブサイト・アプリを活用して、常に情報を入手できる。ユーザの利用メディアは従来型のニュースサイトに加え、ポッドキャストのような音声・動画メディア、schooのような学習アプリ、パスドラのようなゲーム、FacebookなどのSNS、...と非常に多岐にわたる。

このようなマッピングから自社メディアのポジショニングや、自社メディアと隣接しているメディアが見えてくる。隣接しているメディアは自社メディアの利用者と相性がよく、次のビジネス機会と捉えられる。また、どのメディアも満たすことができていないニーズを発見できれば、そこに手を打つという選択肢も見えてくる。

この方法はメディアに限らず、ブランドのポジショニング戦略やタッチポイント・プロモーション設計にも活用できる。

例3:ユーザ理解によるマーケティング戦略の設計

RETはメディア・デバイス利用に限らず、ユーザの実態理解に活用できる。フィリップ・コトラーの「マーケティングの役割とは、たえず変化する人々のニーズを収益機会に転化すること」という言葉は、マーケティングの基本がユーザ理解であることを示している。

ユーザの日々の習慣を把握する方法の一つとしては、エスノグラフィー(消費者につきまとい、日常的な行動を観察する手法で、元々は民俗学の研究手法の一つ)があるが、コストの問題が大きく、広く活用されるには至っていない。それに対して、RETであれば、コストを抑えながらユーザの日々の行動を「スナップショット」として観察することができる。

ある食品メーカー様では、「自宅での食事」をテーマにRETを実施した結果、「毎晩、インターネットをしながらお酒を飲むユーザ」など、非常にリアリティあふれるユーザ像が浮き彫りになった。リアリティのあるユーザ像が社内で共有されることはSTP(セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング)を検討する出発点であり、抜本的なマーケティング戦略の見直しにつながる。

また、ある食材宅配サービスでは、RETとデプスインタビューを組み合わせた調査によって、解約の引き金が「食材を使い切れず、捨ててしまうことへの罪悪感」であることが明らかになった。そこで、ユーザが野菜を使いきれるように、誰でも作ることができる簡単レシピを提供をすることで解約率の改善を実現した。

RETの限界 - リアルな背景心理をどう得るか

ユーザ行動を比較的小さなコストで、リアルに把握できるRETはマーケターにとって非常に強力なツールとなる。しかし、RETにももちろん限界がある。その限界をきちんと理解して活用しなくては「使えそうなインプットはあるが、結局具体的な打ち手につながらない」といったことになりかねない。

RETの限界1 ~ 背景心理の深掘り

RETにおけるインプットはあくまで「点」である。もちろん、前後の文脈を把握できるように調査を進めるが、背景心理の把握には限界がある。

行動と背景心理の双方をセットで理解することで初めて、マーケティング活動への示唆が得られる。デプスインタビューで前後の文脈・背景心理を丁寧に補完するとともに、特に重要な行動についてはユーザ行動観察調査で行動を再現してもらい、細かな行動・反応を把握することが不可欠である。

RETの限界2 ~ バイアスの補正

もう1つの注意点は、調査期間中はある程度のバイアスは避けられないということである。

調査テーマに関する投稿を依頼した時点で、そのテーマに対するマインドシェアはどうしても普段より高くなってしまうだろう。通常、調査開始から1週間ほど経過するとユーザのマインドシェアは「普段」に近い状態に近づいていくが、それだけではバイアスの補正としては不十分なこともある。

バイアスを適切に補正するためには、調査開始前に簡単なアンケートやインタビューなどのユーザの「普段」を知るプロセスを挟んだり、ユーザのデバイス・メディア利用特性を前提知識として理解しておくことが必要である。それらを基にRETで得られたインプットを判断するのがよい。

膨大なインプットを分析する力が不可欠

初めてRETを実施した企業担当者は、その膨大なインプット量に驚くだろう。例えば、20人を対象に調査を実施し、1日あたりの投稿数が平均5個の場合、10日間の調査で20 × 5 x 10 = 1,000個ものユーザ行動の「点」がインプットとして手に入ることになるからだ。

この大量のインプットを前にすると、インプットの海に溺れて、結局何を知りたかったのかを見失いがちである。冷静に文脈や背景心理を分析し、バイアスを適切に補正した上でビジネスに意義ある考察を得るプロセスがRETではもっとも重要となる。

適切な考察プロセスには事前仮説が肝となる。仮説をきちんと持っていれば、RETでどういう内容を投稿してもらう必要があるかが明らかになる。例えば、あるニュースサイトの担当者が今後の戦略のインプットを得るために、ユーザのメディア利用実態を投稿してもらうとする。

その際、利用している「ニュースサイト」と「タイミング」しか投稿してもらっていないと、結局、どのサービス・サイトがユーザの時間をもっとも獲得しているかを分析できない。これでは、本当の競合はどこか、何から時間を奪う必要があるのか見えてこない。

これに対して、事前に「スマホゲームやFacebookなどのSNSがユーザの時間を奪い、自社メディアの利用減につながっているのではないか」という仮説を持って調査に臨めば、「ニュースサイト以外のサービス・サイト利用」も投稿してもらう必要があり、「タイミング」だけでなく「利用した時間」をインプットとして得ることが必要であることが分かる。これで初めて、デジタルマーケティング戦略の立案につながる分析が可能となる。

妥当性の高い仮説立案、適切な分析にはビジネス・ユーザ・デバイス・メディア特性のすべてに対する理解が不可欠である。逆に言えば、これらに対する知見があれば、RETは非常に強力なツールになりうる。皆さまのマーケティング課題の解決にRETが役立てば幸いである。

参考文献:
Harvard Business Review、2013年10月号 特集「顧客を読むマーケティング」、ダイヤモンド社。

執筆者:前田 俊幸
株式会社ビービット アクティングマネージャ
東京大学大学院 学際情報学府修了。ビービット入社後、大手製造業、通信、教育、金融など、幅広い業界のウェブサイト戦略・方針策定やリニューアルに携わる。また、UXに関する知識の啓蒙・普及のためのコミュニティを主宰し、ワークショップ・翻訳など多数実施。